平成28年 3月  「仏のこころ」



 私たちは、平等に仏のこころ「仏性」を有していると見るのが真言密教の人間観であります。人がまだ小さな赤ちゃんや幼子のときには、誰にでも愛らしい笑顔をふりまき、周りの人たちを温かい気持ちにさせてくれます。純粋無垢で、無我無心で、平等で、差別がありません。まさに仏のこころであります。しかし人間は歳月とともに、これは好き、これは嫌いなどという考えを持つようになり、他人との間に隔たりや仕切りを作っていきます。個(自我)というものに執着していくのであります。それが高じてしまうと、自分さえ良ければいいという自己中心的な考えを生み、自分の周りに厚い壁を築き、純粋無垢なこころをすっかり隠してしまうのであります。このように、幼い子どもの頃には開け広げられていた仏のこころは、大人になるにつれて次第に何かに覆われて見えなくなってしまうのであります。その覆っているものが、長年積み上げてきた「自我」や「煩悩」なのであります。

 

 私たちは、自我や煩悩という雲に覆われた仏のこころを再び顕現させていかなければなりません。しかし日常生活において、自我や煩悩を完全に断ち切ることは並大抵の努力ではできません。真言密教では、このように仏性を覆っているものを取り払おうと努力することも大切だが、本来有している仏性にもっと目を向けて、磨き輝かせていこうという考え方であります。

 

 私たちは夜空に輝く月を見ようとした時、雲がかかってしまうと雲が邪魔で月が見えなくなったと思い、雲のことが気にかかります。雲を取り払うことにやっきになってしまうと月のことを忘れてしまい、月を見ることさえ諦めてしまいます。いつしか美しい月を見上げることもなく、月が輝いている時さえ気がつかなくなってしまうかもしれません。夜空に美しい月が輝くことを決して忘れてはなりません。月(仏性)をさえぎる雲(煩悩)を取り払うことに振り回されるのではなく、月(仏性)の存在観じる(可能性を信じる)ことが何よりも肝心なのであります。

 

 誰もが自身の中に仏性を有し、すばらしい可能性を秘めています。そしてそれを磨き光り輝かせていかなければなりません。そのために私たちは仏法に触れ、学び、精進し続けていかなければならないのであります。弘法大師様は特に、みんな「仏のこころ」をもっていることを徹底して教えてくださっています。仏性の自覚は、私たちの生活に明るい希望と温かな心を持たせてくれるのであります。