胎蔵寺について


 胎蔵寺は、正式には「松熊山(しょうゆうざん) 阿釈迦院(あしゃかいん) 胎蔵寺(たいぞうじ)」と称し、京都・嵯峨野の 大本山大覚寺を本山とする、真言宗大覚寺派の寺院です。

 現在の広島県庄原市西城町に創建された寺で、中世には七坊を数える大寺院であったとされています。現在その地は「胎蔵寺跡」として庄原市の史跡となっています。胎蔵寺山門の屋根を支える蛙股の中に刻まれている紋は、西城に居城した宮氏のもので、胎蔵寺が西城より移建されたことがうかがえます。

 

 江戸時代初頭の慶長年間(1596~1615)、福島正則の時代に西城町から福山市神辺町へ寺地を移転し、福島丹波の祈願寺とされました。その後、17世紀前半に福山城下に移転し、17世紀中頃には城の艮の方角にあたる現在地に鬼門守護のために移されました。

 

 本堂にまつられる本尊は、釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩の「釈迦三尊」で、福山城地に築城以前にあった「常興寺」の本尊を胎蔵寺の本尊として移されたものです。この「木造釈迦如来坐像ならびに脇侍二菩薩の獅子座および白象座」は、広島県重要文化財に指定されています。常興寺は、現在の福山城公園の丘陵にあった禅宗寺院で、室町時代には諸山のひとつでありました。

 

 平成13年からの仏像修理の際、釈迦如来の胎内より金銀銅製五輪塔、多数の経巻などが発見されました。その中に「貞和三年」「日本国備後州深津郡椙原保常興禅寺」などの記述が確認され、本尊の歴史のみならず、広島県の中世史を塗り替える発見となりました。

 

山門に刻まれている宮氏の紋
山門に刻まれている宮氏の紋
本尊「釈迦三尊」
本尊「釈迦三尊」


【釈迦如来】

広島県重要文化財「木造釈迦如来坐像」

南北朝時代 貞和3年(1347)

【文殊菩薩】

広島県重要文化財「脇侍二菩薩の獅子座」

南北朝時代 貞和3年(1347)

【普賢菩薩】

広島県重要文化財「脇侍二菩薩の白象座」

南北朝時代 貞和3年(1347)

 


かしょうそんじゃ

【迦葉尊者

うばりそんじゃ

【優波離尊者】

あなんそんじゃ

【阿難尊者】

もくれんそんじゃ

目連尊者】